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【史跡散策】小牧山城…織田信長が造り、小牧長久手の戦いの舞台となった、発掘調査も進む山城
- 2024/09/16
愛知県小牧市の小牧山は名古屋市の北部にあり、戦国時代は名古屋と美濃の金華山(伊奈波山)の中間に位置する小高い山。濃尾平野のほぼ中央にあり、名鉄小牧線では「小牧」駅から歩くと20分ほど。まわりは平地で、小牧市役所や大型ショッピングセンターがある。
織田信長は城主として清州城、次に小牧山城、さらに美濃平定により岐阜城へと移った。清州城時代よく小牧山へ鷹狩に出かけていて、それに同行していた木下藤吉郎、つまりのちの豊臣秀吉の提案もあって小牧山に目を付けたとも言われている。
小牧山城は、1584年に小牧長久手の戦いで犬山方面の豊臣秀吉に対して徳川家康が本陣とした城。当時家康により急遽大きく改修されたため、 信長時代の遺構は残っていないとみられていた。それが10年ほど前、小牧市文化財課の発掘調査により、2段組み石垣が発見されて話題になった。
信長と言えば岐阜城や安土城で石垣を利用した画期的な城づくりを導入したイメージだが、3段目の石垣の発見や石の材料、さらに積み方の分析などにより、信長時代のものと推定される遺構が発掘された。さらに、大手道の岩盤を削り込み、石垣と組み合わされるという構造が判明したという。
メインの大手道は安土城大手道とよく似て、小牧山城の南麓からまっすぐにのびていたことがわかってきた。 小牧・長久手の戦いの際には、この大手道を家康が埋め立て、屈折させるように改修していたことも明らかになった。
兵を出すために深く掘ったという堀も市役所側で発見された。信長の居館があった位置もわかってきている。
標高85メートルの山のふもとから天守のある頂上までは歩いて15分ほど。模擬天守は1967年に建てられたコンクリート造り。模擬天守内は小牧山歴史館となっており、信長が小牧山に初めて城を築き、信雄・家康連合軍によって改修された 小牧山城について、パネルや映像を用いて伝えている。三英傑の気分に浸れる上段の間は、絶好のフォトスポットになっている。
ふもとには小牧山城史跡資料館(れきしるこまき)があり、小牧山城築城のドラマや小牧・長久手の戦いといった小牧山を取り巻く歴史について、模型や映像、プロジェクションマッピングを使いわかりやすく紹介している。触れて学べる展示が多いのも特徴だ。小牧市によって整備されてきた小牧山は、平日も子どもたちの遊び場や写生の場所として賑わっている。
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